オーストラリアの旅行、ワーキングホリデー(ワーホリ)、移住(永住)、生活に関する完全ガイド

OZarvo おーじーあるぼ
 〜オーストラリア快適暮らし〜

オーストラリア永住ビザを取得しようと思ったきっかけ

ここでは私が実際に体験した永住ビザ取得までの過程を体験記風に書いて行きます。

私の場合、永住ビザの取得を考え始めてから2005.11月に取得するまで約5年もかかりました。 ではその波乱万丈な永住ビザ取得体験記をご覧ください。

きっかけはワーキングホリデー
1998年8月末、ワーキングホリデーにて初めてオーストラリアに行きました。 成田発→シドニー着のカンタス便で、夜の便だったんですが、一人で海外へ行くのは初めてということもあり、興奮して一睡もできなかったのを覚えています。

約11時間後、オーストラリアに着いたその日は快晴で、飛行機からのシドニー湾、オペラハウスがまぶしく目に映ったことは、強烈な印象として8年経った今でもはっきり覚えています。

それから1年後、良き友人達との出会い、ラウンド、ファームステイ等ワーホリ生活を満喫し、オーストラリアが大好きになっていた私は日本に帰る前に英語くらい身につけなきゃと思い、シドニーと反対側のパースという都市で英語学校に通うべく学生ビザに切り替えました。

妻と出会ったのもちょうどその頃です。 パースで初めて一都市に落ち着く生活をしました。妻(その頃は友達)と共同で車を買い、週末は学校の友達とブラスモンキー(パースで有名なパブ)へ。世界一きれいで住んでみたい都市と言われるパースで夢のような生活をしていました。

そして気持ちはオーストラリア永住へ・・・ そのパースでバイトをしていたジャパレスからビジネスビザ取得の話がきました。これで少なくともあと4年はパースに住める。それに運が良ければ永住ビザも取れるかもしれない。 その頃はまだ永住ビザ取得の難しさとか自分のキャリアを振り向きもせず、ただひたすらパースに住みたいという気持ちが強かったんです。 今考えるとほんとに正解でしたが、ビジネスビザの返事を社長にする前に親,兄弟に相談しました。そして急遽父がオーストラリアに来る事になったのです。

父は真っ向から否定はしませんでした。否定すれば私が反発する事を知っていたのでしょう。ただ、私が今まで歩んできた人生、学校で学んだ事や会社でやってきたこととこれからやろうとしてることをもう一回自分で考えて、ジャパレスのビジネスビザを受けるかどうかを自分で判断しなさいと言いました。後は、何も言わず、ピナクルズに行ったりして観光してました。

父が来た事で自分の状況を冷静に考えました。選択肢としては下記3つ
@このままビジネスビザを取り、4年間パースに住む。
A大学に1年間行き、卒業後永住ビザの申請をする。  (当時は1年間大学に通う事で永住ビザの申請が可能でした)
B一旦日本に帰り、日本で働きながら永住ビザを取る。

ここでパースのビザコンサルタントに相談。永住ビザを取る事が最終目的だという事を告げた上でアドバイスをいただきました。 @だとシェフとしてバックグラウンドの無い私が将来永住ビザを取るのは困難 Aだと一番期間が短く、そして確実に永住ビザが取れるだろう BだとAより期間は長くなるが、永住ビザが取れる可能性はある @は永住ビザ取得の可能性が低いとの事で、せっかくいただいた話でしたが、ここで断る事にしました。

直近の4年を取るか、将来を取るかで将来を取る事にしたからです。 次にAとBの比較、このころからだんだん永住ビザを取るのが難しくなるだろうという噂が広がりつつあったので期間の短いAを選択することにしました。心はもう既にオーストラリア永住でした。

がしかし・・・ その後、悪夢みたいな事が起きたのです。 大学に行く為にはIELTSという英語のテストで6以上必要。だから大学付属の英語学校に行き、IELTSを受け、その後大学に進学するというプランを練っていたのですが、イミグレーションに学生ビザの申請を申込みに行くと、何と・・・ 学生ビザの申請を却下されてしまったのです。

理由は、「ワーホリ→学生と十分にオーストラリアに滞在したんだから、もう日本に帰りなさい」との事。そしてさらに「これは私の決定じゃない。ボスが決めた。もしこの決定に対し不満があるなら○月○日までにココに不服申し立てをするように」と言い残し、さっさとイミグレのオフィサーは引っ込んでしまうではありませんか。

でもその裏では、学生ビザを取って不法に働くのではないかと疑ってたみたいです。現にそういう人もたくさんいますし。(日本人ではあまりいませんが) 『日本より賃金が安い国で誰が不法に働くかボケー』と叫びたかったですが、一度却下されたら何を言っても無駄です。

悔しいですが今回はおとなしく引っ込む以外方法はありませんでした。 ここで選択肢はBのみとなりました。時間はかかりそうですが、仕方がありません。この却下の記録が将来永住ビザを取る際に影響が無ければいいのですが。

その事を確認しにシドニーのビザコンサルタントに聞いてみると「恐らく大丈夫でしょう」と何とも曖昧な返事。全ての判断は移民局の担当官次第なので100% OKとは言えないみたいです。私としてはその言葉をポジティブに受け取り、行動するしかありません。 約1年半のオーストラリア生活にピリオドを打ち、日本へ帰ることにしました。そして日本への帰りの飛行機の中で、『絶対に永住ビザ取って戻って来てやるからなー』と心の中で誓いました。これがきっかけ、 ここからが仕切りなおし、作戦の建て直しです。





スポンサードリンク

スポンサードリンク

Copyright (C) 2006 OZarvo〜オーストラリア快適暮らし〜 , All rights reserved.